ヨハネス・フェルメールとは?
ヨハネス・フェルメール Johannes Vermeer
ヨハネス・フェルメールはオランダ・バロックの代表的な画家。本名はヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフトですが、通称のヨハネス・フェルメール、またはヤン・フェルメールの名で広く親しまれています。
光の魔術師とも呼ばれるフェルメールは、『真珠の耳飾りの少女』『牛乳を注ぐ女』『真珠の首飾りの女』など、光を巧みに用いた風俗画を得意としました。
現存作品が35点前後(専門家により意見が分かれており点数は未確定)と大変少ないフェルメールは寡作の画家としても知られます。
ヨハネス・フェルメールの生涯
フェルメールは、1632年にオランダのデルフトで居酒屋兼画廊(美術&織物)を営む父の息子として生まれました。15歳で画家に弟子入りしたフェルメールは、20代になると父の家業を継ぎ、間もなく結婚。聖ルカ画家組合に親方として登録し、父が経営していた店をアトリエにしながら家業と画家の二足のわらじを履く生活を始めます。最年少30歳で聖ルカ画家組合の理事長に選出され、さらにその8年後に再び組合の理事に再選出されていることから、フェルメールは画家としての実力だけでなく、人望も申し分のない人物だったことが伺えます。
ただ、実力や人望はあったものの、フェルメールの存命中に彼の元に訪ねてきたコレクターはフランス人のバルカダール・ド・モンコニーただ一人だったといわれており、また画家として活動しながら借金をした記録も残っているなど、子だくさんだったフェルメール一家の生活は決して豊かなものではありませんでした。
1672年にフランスがオランダに侵攻したことでオランダの経済状況が悪化すると、フェルメール一家の生活は破綻、40歳で家と店を失ったフェルメールは43歳(1675年)で亡くなっています。
フェルメールの魅力が再発見され、その人気に火がついたのは、フェルメールが亡くなってから約200年後、1880年代後半のことでした。
フェルメールが生きた時代のオランダ
豊かな暮らしと郵便制度の発達
1588年にイギリス海軍が無敵艦隊のスペインに勝利すると、イギリスやオランダの時代が到来。1632年生まれのフェルメールが生きた時代のオランダは、「オランダ黄金時代」と呼ばれるほどに栄え、多くの市民家庭が中流、またはそれ以上の暮らしをすることができました。
商業の発展に伴い郵便制度も発達、識字率の高いオランダでは手紙やラブレターのやりとりが流行しました。フェルメールの風俗画にも一般家庭の女性が手紙を読む場面が描かれています。
芸術として認められた風景画や風俗画
これまでの西洋美術史を振り返ってみると、画家の使命とは、王族や貴族、あるいは教会など、所謂パトロンが気に入る絵を描くことでした。そしてパトロンが画家に求める絵画の主題は、宗教画や神話画、パトロンやその家族の肖像画などであり、風景画は「宗教画や神話画の背景」という扱いでした。
しかし、フェルメールが生きた時代のオランダは、商業の発達により裕福になった市民向けの芸術が求められたこと、プロテスタントの信者が多く宗教画の需要が無かったことなどから、風景画や風俗画といった市民に身近な主題の絵画が広まっていきます。風俗画の傑作が続々と誕生した背景には、こうしたオランダ特有の事情があったのです。
フェルメール作品の特徴・作品鑑賞ポイント
市民生活を優しく切り取るフェルメールの風俗画
フェルメールの絵画のモデルとなった人々の多くは、穏やかな微笑み、あるいは憂いを帯びた表情で、静かに絵画のなかに佇んでいます。
描かれている人々の衣服や室内の様子からは、市民のなかでも裕福で生活水準の高い人々(一部メイド)だということがわかります。女性や学者らのファッションには当時の流行が見てとれ、室内の壁面に世界地図が飾られている絵画からは当時のオランダの商業的な成功、天学者や地理学者をモデルにした絵画からはオランダの科学技術の高さも伝わってきます。
フェルメールはオランダ黄金時代の市民の生活を優しく、かつ的確に切り取った風俗画を残しました。
補色関係で一層際立つフェルメールブルー
左の絵画は『真珠の耳飾りの少女』、右は『牛乳を注ぐ女』、どちらも非常に人気の高いフェルメールの代表作です。
これらの作品に共通しているのは、パッと目を引く鮮やかなブルーとイエローの色使い。ブルーには鮮やかで濃さが出せるウルトラマリン(ラピスラズリの主成分)を用いた高価な顔料が使われています。この顔料で描かれた絵画はウルトラマリンブルー、フェルメールブルーと呼ばれており、フェルメールはこのフェルメールブルーと補色の関係にあるイエローを組み合わせることで、より一層この2色を際立たせることに成功しました。
フェルメールが生涯を過ごしたオランダ・デルフトには、デルフト焼と呼ばれる白地に藍色が美しい陶器があり、フェルメールブルーはこの色合いを目指したのではともいわれます。
フェルメールの柔らかい光の秘密ポワンティエ技法
明暗がはっきりとしたドラマティックな躍動感ある作品が多いバロック美術のなかで、光の魔術師と呼ばれるフェルメールの描く柔らかい光、特に窓から差し込む光の表現は秀逸です。
上の画像は『牛乳を注ぐ女』の一部分ですが、籐の籠の持ち手やパンに白い点々が描きこまれていることがわかります。このように光を白い点で表現する点描技法を「ポワンティエ」と呼びます。フェルメールはこのポワンティエ技法を用いて光の煌きと柔らかさを表現しました。
フェルメールの正確な遠近感の秘密カメラ・オブスクラ
カメラ・オブスクラとは、内側を黒く塗り小さい穴を開けた、ピンホールカメラ的な光学装置。物体をスクリーンに映し、それをトレースすることで正確な遠近感を表現できるため、画家の素描にも多く使われました。フェルメール作品の正確な遠近感、手元や輪郭線のぼやけた感じは、このカメラ・オブスクラを使用したものだとされています。
また、カメラ・オブスクラでピントがボケた際に光が粒のように見えることから、前述のポワンティエ技法はカメラ・オブスクラの影響だとも考えられます。
現存作品30数点・寡作の画家フェルメール
フェルメール作といわれる現存作品は約35点。「約」と付けたのは、専門家の間で真贋が割れている作品が数点あるためです。真贋の割れている作品を除くと、フェルメールの現存作品は30点強になります。フェルメールの現存作品が少ないのは、フェルメールが家業と兼業しながら絵を描いていたから描いた作品自体が少なかったという説のほかに、デルフトの街の火薬庫爆発やフェルメールがアトリエにしていた居酒屋の火事により作品が燃えてしまったという説があります。
フェルメール展・2018年秋スタート
2018年10月5日から始まるフェルメール展には、フェルメールの作品が一挙に9点も来日します。お出かけの際には、ぜひ上記の鑑賞ポイントにも注目してみてください。
●フェルメール展
上野の森美術館 2018年10月5日~2019年2月3日
大阪市立美術館 2019年2月16日~2019年5月12日